わたしは、見捨てられて行くもの、壊されて行くものに、非常に心が動かされます。
ラインプロジェクトの時もそうでした。
人に見捨てられてしまいそうな一枚の紙の上に書かれた一本の線。
それが、視点をかえるだけで作品という特別なものに変わる。
それが、わたしにとって一番引かれるところでした。
612621の「壊される予定の家」はその紙一枚と同じようにわたしの心の琴線を震えさせました。
それは、絵を描く人がキャンバスやパネルを選ぶようなものであり、また、彫刻家が粘土や大理石を選ぶようなもの。
形が無くなり、忘れ去られてしまう切なさ。
役目を終え、その存在を消されてしまう、やり切れなさ。
それが、視点を変え手を加えることで一瞬でも違うものとなり特別な空間となる。
それを、記憶にとどめる。
そんなことは出来るのだろうかというのがこの「壊されて行く家」を使うことの動機でした。
何か大それた、大義名分がある訳ではなく、「壊されて行く家」に、わたしには、人の生の果敢なさと尊さにも通ずるような気がして惹かれ、何かをしたいと思ったのでした。
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